2020-07-06

身近な戦争遺跡


7月に入って1週間経とうとしています。今年はコロナウィルスの流行もあり、あっという間に半年過ぎてしまったと思っている方も多いのではないでしょうか。

新しい生活様式にも少し慣れてきたのかな、とは思いますが、気をつけるべきは熱中症のような気がしてきています。
マスク、暑いですよね。
図書館は空調が効いているはずなのですが、すこし体を動かすと汗ばむくらいです。マスクをしていると体感温度が3℃くらいは違う気がしています。
今はまだ雨が続いているので気温が上がっていませんが、これからは熱中症に注意ながらの生活が続きそうです。

ブログを書くとき、ネタに尽きると「今日は何の日」を調べるのですが、これを書いている今日7月6日は「零戦の日」だそうです。
1939年(昭和14)の今日、零戦の試作機の試験飛行がはじめて行われたそうです。

零戦…っていっても最近の若い人(表現!)は知らないかな。
といっても私もそんなに詳しくないですけど、正式名称は「零式艦上戦闘機」といって太平洋戦争の時、日本軍の主力戦闘機だった飛行機です。
おじいちゃんが戦争に行った世代の私にはわりと耳慣れた言葉でした。
それで思い出したのですが、県立大学の敷地は戦時中「熊本飛行場」という軍の飛行場だったのをご存じですか?

いま熊本の空港といえば阿蘇くまもと空港と天草空港くらいですが、戦時中は軍の飛行場がかなりの数存在し、熊本飛行場もその一つでした。
今の健軍の自衛隊がある場所に航空機の製作所があり、そこで制作した機体の試験飛行のために1942年(昭和17)に整備され、戦争が終わった後も1971年(昭和46)に西原の熊本空港が開設されるまで断続的に飛行場として使われていました。

滑走路は、熊本赤十字病院と県立大学の間を走る国体道路のあたり。
ちょうど直線になっていますが、熊本託麻台リハビリテーション病院のある交差点から長嶺のモスバーガーの少し先でカーブになっている手前くらいまでが滑走路だったようです。

熊本飛行場は戦争末期、義烈空挺隊といわれる陸軍の特殊部隊が沖縄に向かって飛びたった場所で、そのほとんどが生還することはありませんでした。
空挺隊の記念碑が以前県立大学のある敷地にあったようですが、今は健軍の自衛隊内に移設されています。

現在、図書館の前とグローカルセンターの前に大きな松の木がありますが、これは空挺隊の見送りの松といわれています。
もともと図書館と総管棟のあたりは松林でしたが、大学を増築する際、切り倒してしまったそうです。
見送りの松に歴史的価値があるということで、数本だけが残されています。
当時は低い松だったのかもしれませんが、いまは大木になっていますね。

図書館の前を通るときに、ちょっと思い出してみてください。

※参考文献

所在:郷土資(2F) 背ラベル:K 210.6||Ku 34 ほか

図書館スタッフH
 

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